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あのねー
枕買ったんだよね
モチモチで最高のやつ
で枕カバーも買ったんだけどね
カバー、筒型のなんか伸縮性のやつでね、そのカバーに突っ込むとモチモチフワフワの平たい枕が丸っこくムチムチパンパンになって、夜中、寝づらくてなんじゃこれ!と思って外したら寝心地最高っ
カバーは翌日腹に巻いて出掛けたよ
それがね、シンデレラの靴みたいにピッタリなのよ
しかも胸から尻までカバー
でもね、インナー + 腹巻きは建物の中ではちょっとのぼせるよ
亡くなられた
俳優座でお世話になりとても可愛がっていただいた
僕が演出した「地獄の神」という作品に出ていただいた
大先輩に随分思いきった事を言った
でもそれを、次の日あたりに、お前に言われるまで気が付かなかった、いやぁ、そうだよなぁ!と聞いて下さった
無茶な事もお願いした。それをなにも言わず面白がってやって下さった
本当に気持ちのいい先輩だった
つまらない駄洒落を数珠繋ぎに言う人だった
それはほんとにつまんなかった
いくら亡くなられてても面白いとは言えない
でも
つまんなくても優しくて心地よかった
また神山さんと一緒にやりたいと思いながら僕は俳優座を退団した
神山さん、演出できませんが、今度は「天国の神山」やって下さい
や、これよりもう少しだけうまいけどね神山さん
どうか安らかに
あらためて観た
傑作だなぁこれ
僕はずーっと、時間がノンリニア、非線形だという事を感覚的に理解しようとつとめてきた。そう信じてはいてもそれを感覚的に、主観的に悟るのは難しい
この数年ずっとそれをわかりたいと思って生活してるのよ
「メッセージ」はそれと正面から向き合った作品だと思う
僕の好きなSFはこういった事を伝えようと試みる作品
インターステラーにしてもクラウドアトラスにしても、根底でこの事と繋がっている
人が悲しんだり苦しんだりするのは時間が過去から未来に向かって「流れる」ものだと錯覚しているからだ
「君の名は」があれだけヒットしたのは、日本人がそれを世迷い言と取らなくなって来ているからじゃないかな
ビジネスや政治の世界は未だ、表向きは思い遣りがあるように見せ掛けて根底にあるのは財力や武力などの「力」だと思う
現在の多くの人が持っている「時間」の観念がそうさせる
この映画は最後にそこが覆るというパラダイムシフトのような事が起こる
起こった後でも、それを受け入れられない人も描かれていた
でもそれが解れば、富を自分に集中させようとすることも、死を怖れる事もなくなる、つまり恐怖が消えるんだ
こういう話は、映画では許されるけど、何故かこういう場でするとまだきわどい
非線形の時間の原理にどこかの首相が従う日が来るのかな
ヘプタポッドの霞の向こうに僕は、愛、を見た気がした
見た人はわかるねっヘプタポッド
毎日映画の話ばかりごめんちゃい
でも映画の話しじゃないなこれ
この映画は数少ない原作を越えてる映画だなっ
いや、しかしやっぱテッド・チャンはえらい
今日ね
あー、なんか自堕落、なんかやった気分になることないかな
と考えてて、あ、行けるとこまで歩いていってやる、て、急に思い立って、歩いてきたよ
ちょっと休憩したりご飯たべたりしたけど、ひたすら歩いたのだ
これ多摩湖自転車道っていう遊歩道なんだけどね、武蔵境のある場所で、下が水路になってる井の頭通りがT字路で突き当たって終わる所で、その先を遊歩道として引き継いで多摩湖まで続いてるの
そのまま多摩湖まで一直線。そう言っても多少は曲がってると思うでしょ?でもほんとに一直線
この真ん中の白い線、これがその遊歩道で、こう見ると縮尺が凄い短い距離だろうと思うでしょうが、これ右端が武蔵境で左端が多摩湖だからね
新幹線以外でこんな線地図で見たことない
ま、実際の地図だと殆どわからない感じにしか出てこないんだけどね、遊歩道だから
凄いでしょ、ほんとに真っ直ぐ
そんで俺は、じゃあ井の頭通りは曲がってないのか?と思って思い出してみたら…!!!…凄い、永福町の辺りまで三鷹で1度、久我山で1度、の2度しか曲がってない…
なるほどなぁ
いや、水道の話はいいの
僕は今日それで
うちからここまで歩いて帰ってきたのだよ
向に見えるのは埼玉の西武ドームなり
いやぁ歩けるもんなんだねぇこんな所まで
帰りは普通の道路でちょっと迂回しながらお茶したり飯くいながら帰ってきた
そんで、最後の方はもう足が痛くて24時間テレビみたいになってね、意地で交通機関使わないで帰ってきた
足の裏が痛くてヤバイ
水ぶくれ4つ出来てたから全部潰した
今日の総距離約38キロ
明日僕は歩けるのだろうか
行って自分がダムが苦手だったことに気付いた
遊歩道脇にあったアロエ
でかくね?後ろのビニールハウス、普通の大きさですよ
今日は良く眠れるだろうなわたし
凄いなエドワード・スノーデン
頭のいい人間はこういう感じなのか、能力を見せる事をしないで使う事だけをしてる人間ってこんな感じなのか、と思う
普通にそこらにいるお兄ちゃんだ
でもなんかカッコイイなスノーデン
ドキュメンタリーはやっぱり映画と決定的に何かが違う
人って本当に動揺を外に出さないようにつとめるものだ。冗談を言ったりして、薄い微笑みを浮かべて。至って静かだ。地震が来たとき案外普通にやり過ごすみたいな
これ見るとドラマってやっぱり、どんなに良い映画でもほんのり薄皮のように、感情の揺れを「表現」してるんだな…と思う
スノーデンは最初から最後まで同じ調子で喋っていた
こういうのにかなうドラマって無いな
でも、現実の方が人が考えるより大袈裟な場合もある。仰天ニュースとか見てるとね
あれだろうな、ドキュメンタリーはドキュメンタリーだというだけでドラマが敵わない時もあるよねぇ。ドラマで嘘臭いと思える人間の反応でもドキュメンタリーだと言われたらそういうものかと受け入れるものね
サムラゴウチが自宅で這いながら苦しんで作曲しているのを映したドキュメンタリーを観て、よくこんなの撮らせるなこの人と思いながら見ていても、ドキュメンタリーだと思うと、へぇ、人間てここまでなるんだ、そういうものなんだなぁ、と納得して見てしまっていた
スノーデンのホテルでの様はとても静かで、事態が進展して世間が騒ぎだしても何だかおっとりしていて、それがいやに生々しく、CIAの人間でも、現実って007みたいじゃなくてこんな感じなんだろうな、と思った
いや、むしろそこが普通の人間と違うのかもしれない
でもやはり見ていて、現実の方が大袈裟というか想像を越えると思ったのは、明らかに、日をおうごとにスノーデンの肌が荒れ、最後のシーンなど、目の下がそれこそ嘘みたいにクマで真っ黒になっていて、最初に映っている時と顔が変わっているのがわかる
なるほど「だんだん追い詰められていく」なんて演技より、何も変化せず目の下のクマだけがどんどん真っ黒になっていくだけの方が見ていてぞっとするのかもしれない
しかしスノーデン、なんかカッコイイな
今どこで何をしているのだろうか
ツツガムシの会議、という名の新年会を男3人で焼き鳥屋で開催
作家の日向から栗羊羹、本多からはミカンのお年賀をたんまり貰う
わたし、手ぶらで申し訳ない
演劇のはなしはちょびっとで、作家が愛車のバイクの話をして、シンヤが自慢のジムニーの話をして、私は腹減ってたからそれを聞きながらひたすら食べて
次の店は喫茶店で俺と日向がケーキとコーヒーを、シンヤは引き続きビールを頼む
今日はなぜか全部作家の奢りで、みんなほぼ同い年なのに「いやいやいや、いいよいいよ」とか全く言わずにスムーズに奢られる俺とシンヤ
4時から飲んで 9時に解散
写真撮るの忘れた
そんで寝る前にデストピアを観たら覚醒して全然寝れなかった
今日はずしっと来るのは観たくない、SFにしよう、と思って見たらゾンビ映画だった
エンディングが面白かった
行くかわりに、インド映画観て、インドカレー食った
「バーフバリ」、凄いな、面白いぞっ
頭からずーっと山場だぞ、山場が二時間半続くよ
だから見終わって軽くくたびれてたけど
でも面白かったぁ
音楽もいいし、あぁぁ、そんなとこで急に薄くエレキ入れないで!たまらない!てなった
なんかカメラワークとか画のセンスがハリウッドの上を行く感じだ。いちいち、わっ、ここカッケー!わっ、またカッケー!ってなった
普通の人間が王様だっていうだけでアベンジャーズみたいに強いから、つまり暴れん坊将軍の殺陣のシーンがアイアンマンみたいな映画だよ
でもマーベルと決定的に違って素敵なところは、負けそうになってピンチな時、ビブーティーみたいな灰を戴いてシヴァ神の名前を言って勝つ、みたいな所だな
どんなに娯楽大作になっても神様が根底に流れてて信心深さがぶれてないのが素敵
マトンカレーもうまかったのだ
はぁ翻訳終ったっ
解放感
翻訳っつっても10年前にやったものの修正だけどね
なんだか普通に訳すより時間かかったかな…
そんであれだね、10年経つと、自分が翻訳で使う言葉がこんなに変わるのか、と思った
大人になったのかしら
旅行でもしたいな
弟が正月にひと月インドへ行くと言って、でかいバックパックを背負って旅立っていった
いいなぁ、俺も行きたい、それこそ、ひと月くらいインド
昨年末にDVDで観た
スポットライト以来のやべぇ映画だった
演技も、台詞も、構成も、映画全体も全部良かったっ。構成はブルーバレンタイン方式だねぇ
何だか引き込まれたのは、一見本筋に関係ないと思われるやたらリアルな細かい幾つもの不測の出来事
で、多分だけど、それが本筋の大事件の象徴でもあるのでしょう。人生は不測の出来事に満ちていて、それをどう捉えて行くか
観た後残る
ここんとこ時間があるのでDVDを見まくってます
勉強勉強っ
あと翻訳
翻訳何気に今回の時間掛かってるなぁ、翻訳というより修正なんだけどねっ
だからむしろ時間かかるのかな
本当に不思議なもので、パソコンの画面上ではオッケーでも、印刷して紙で読み返す変えたくなる、それで紙に書き込んで沢山修正して、データもそれにならって修正して、それをまたプリントアウトして読むとまた変えたくなる。その繰り返しで紙とインクが勿体無いけどやらないと、画面上だけではどうしてもダメなのだ
ほんとうに不思議なことですこれは
なぜパソコンの画面と紙では違うのだろう
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